# すうじはうそをつかいが、うそつきはすうじをつかう
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数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う

種類:その他格言
数学を愛した少年は「飯が食えない」と統計予測を立て、薬学部へ進んだ。予測は外れた。マーク・トウェインの言とされるが出典すら怪しいこの格言を、統計を商売道具にしてきた薬学人が、自分の手元を照らしながら読み直す。
白状すると、私は生徒学生のころ、数学が大好きだった。
一時は数学を職業にしようかと本気で考えた。 だが「きっと飯が食えない」と判断して、薬学部に進んだ。
今にして思えば、あれが私の人生最初の統計予測である。 手持ちのデータから将来を推計し、意思決定を下したわけだ。
そして、この予測は外れた。 数学はその後、コンピュータという形で世界を動かす商売になった。 飯が食えないどころか、世界で一番飯が食える学問になったのである。
数字は嘘をつかない。 だが、数字を読む人間のほうは、いくらでも読み間違える。 ——この格言の本題に入る前から、私はすでに実例なのだ。
さて、今回の言葉である。
数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う
英語圏の古い言い回し "Figures don't lie, but liars figure" の翻訳で、 マーク・トウェインの言葉としてよく紹介される。 が、実のところ確かな出典は曖昧で、19世紀の統計家の演説だとする説もある。
つまりこの格言、「嘘」を戒める言葉なのに、出所の裏付けからして怪しい。 出来すぎた冗談のようだが、これがかえって教訓を補強している。 「トウェインが言った」と添えるだけで、言葉の説得力が増して聞こえる—— 権威を借りて信頼を演出する手口は、数字に限らないのである。
数字を使った嘘の手口は、昔から品揃えが豊富だ。
母集団の細工。 「90%の人が効果を実感!」——調査対象は20人、しかも作り手の関係者だったりする。
縦軸の魔術。 グラフの縦軸を拡大すれば、誤差ほどの変化が劇的な急降下に見える。 数値は一切いじっていない。見え方だけを整形するのだ。
定義の変更。 「失業率が改善」——その裏で統計の定義や数え方が変わっていれば、 実態はそのままでも、数字だけが良くなる。
最近では、統計が示す数字が気に入らないからと、 統計責任者を解任してしまった大統領の報道まであった。 細工を通り越して、鏡が気に入らないから鏡を割るという力技である。
いずれの手口にも共通するのは、数字そのものは嘘をついていないことだ。 統計という言葉が持つ客観性と権威——その信用を、人間が使い込むのである。
ここまでは、他人事のように書いてきた。 だが、この格言のページを作りながら、私は落ち着かない気分になっている。
私は薬学の世界で生きてきた人間である。 この業界は、統計の上に建っていると言ってよい。 そして私自身、数多くの統計データを扱ってきた。 論文にまとめ、プレゼン資料に仕立て、人を説得する場面で使ってきた。
「説得力を持たせる」——長年、当たり前に使ってきたこの言葉が、今になって引っかかる。
説得力を持たせるとは、具体的には何をすることだったか。 見せたい差が際立つグラフの形式を選び、 話の流れに合うデータを前に出し、合わないデータを補足に回す。
数字は、一度も偽っていない。 だが、鏡の角度は——本当に一度も傾けなかったと、言い切れるだろうか。
嘘つきは数字を使う。 そして厄介なことに、数字を使うとき、 人は自分を嘘つきだとは思っていないのである。
では、どうすればよいのか。
読む側の心得は、よく言われるとおりだ。 誰が、何のために、どんな調査で出した数字なのか。 母集団は、定義は、グラフの軸は。 数字の裏の物語を読む力が、嘘を見抜く力になる。
だが、このページを作って思い知ったのは、もう一つの側である。
数字を疑うより先に、数字を使っている自分を疑うこと。
統計は鏡だ。真実の一部を映すが、傾けるのはいつも人間の手である。 そしてその手は、詐欺師だけのものではない。 論文を書く手、資料を作る手、POPを書く手——私やあなたの手だ。
数学を愛した少年として、最後に言っておきたい。
数字に、罪はない。 数字は嘘をつかないからこそ、 数字の前では、人間のほうが試されているのである。
……なお、「イラストが売れる」という私の需要予測が どれほど外れ続けてきたかについては、 別の連載で詳しく供述しているので、そちらをご覧いただきたい。
数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う


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