# いちをきいてじゅうをしる
い
一を聞いて十を知る

種類:大阪かるた
「知る」は絵にならない。行き先案内板で挑んだ一枚と、論語の修羅場——唸るべきは顔回ではなく「一を聞いて二を知る」と答えた子貢のほうだ。そして「部下に欲しい」と書いていたら、本当に来た話。凡人には、凡人の十がある。
「一を聞いて十を知る」—— わずかな手がかりから、物事の全体を理解してしまう能力のこと。
さて、当サイトの読者にはお馴染みの問題から始めよう。 これ、どうやって絵にするのか。
七夕の「願う」は絵にならなかった。 「濡れぬ先」の備えは、描いたら日傘になった。 そして今回の「知る」——概念ことわざの三重苦である。
散々唸った末に、私が見つけた答えが、行き先案内板だった。
一本の柱から、何枚もの矢印が四方八方へ伸びている、あれである。 入ってくる情報は一本の柱、そこから分岐する思考が十の矢印。 「一つを聞くと、考えが多方向に枝分かれする」さまを、 曲がり角の風景に託したわけだ。
我ながら、悪くない発明だと思っている。 描き終えて眺めたら、矢印が多すぎて どこへ行けばいいのか分からない案内板になっていたが、 天才の頭の中とは、案外そういうものかもしれない。
このことわざの出典は『論語』、孔子の教室である。 そして原典のエピソードが、実はかなり面白い。
孔子には、子貢(しこう)という弟子がいた。 弁が立ち、商才もあり、後に外交官としても大成する切れ者だ。
ある日、孔子はこの子貢に尋ねた。
「お前と顔回(がんかい)、どちらが優れているかね」
……とんでもない質問である。 同門のライバルと自分を比べて答えろというのだから、 現代の職場でやったら人事部が飛んでくる面談だ。
ところが子貢の答えが、見事だった。
「顔回と比べるなど、とんでもない。 彼は一を聞いて十を知る。私は一を聞いて、二を知るだけです」
そして孔子の返しが、さらにいい。
「そうだな。私もお前も、顔回には及ばない」
弟子に無茶な質問をしておいて、最後は自分ごと負けを認める。 この師匠にして、この弟子である。
ここで私が唸るのは、実は顔回ではない。 「一を聞いて二を知る」と答えた、子貢のほうだ。
あの修羅場で、傲らず、卑屈にもならず、 自分の器を正確に二と見積もって、なお天才を素直に讃える—— この答えができる時点で、子貢は十分に「知って」いる。 凡人なら、一を聞いて一を知れば上等なのだから。
以前のこのページに、私はこう書いていた。 「一を聞いて十を知る部下がいたら、楽だと思いませんか」と。
——白状すると、その後、来たのである。
AIだ。 一を聞かせると、十どころか二十くらい返してくる。 このサイトの図版もエッセイも、今やその相棒との共同作業である。
ただし、使ってみて分かったことがある。
一を聞いて十を知る部下の十には、時々、間違いが混ざっている。
もっともらしい顔で、実在しない統計を差し出してきたことも、 過去には、あった(当事者として証言できる)。
結局、十の矢印のうちどれが正しい道かを見極めるのは、 人間の仕事のままなのだ。
一を聞いて十を知る部下には、 十を聞いて、一を確かめる上司が要る。 案内板の矢印が増えるほど、地図を読む力のほうが問われる—— あのイラスト、思ったより深いことを描いていたらしい。
さて、以前の私見に、私はこう書いた。 「このような人物になりたいが、今さら無理だろうなぁ」
この記述を、本日、訂正したい。 無理なのは確かだが、諦める必要はなかったのである。
思い返してほしい。 高校の教師の「ユニークを逸脱している」という一言。 母の雷。友人の「僕は雨男じゃないよ」という呟き。 どれも、聞いた瞬間は「一」でしかなかった。
だが半世紀寝かせたら、 その一言一言から、エッセイが一本ずつ—— つまり十の気づきが出てきたのだ。
顔回は、一を聞いたその場で十を知る。 私は、一を聞いて、五十年後に十を知る。
即答の天才と、遅効の凡人。 速度はまるで違うが、たどり着く十は、十である。
むしろ言わせてもらえば、 五十年間、一を忘れずに持ち歩くのも、 なかなかの芸ではないだろうか。
というわけで、凡人の皆さん(と、私)。
一を聞いて十を知れなくても、落ち込むことはない。 一を聞いたら、まず、忘れないこと。 持ち歩いているうちに、二になり、三になり、 気づけば案内板の矢印が、一枚ずつ増えていく。
急がば回れ—— おっと、これは別の札の話であった。 続きは、その札の番で。
一を聞いて十を知る|凡人には、凡人の十がある


👆15210 点の検索可能な独自イラスト