# あたまかくしてしりかくさず
あ
頭かくして尻かくさず

種類:江戸かるた
由来は草むらに頭を隠して尾羽丸出しの雉である。かなりの自信作が売れなかった理由——顔を隠した絵は、表情という商品を隠した絵だった。そして絵の人物は顔を隠せたが、描いた本人の趣味は家内に隠せていなかった。
頭かくして尻かくさず——江戸かるたの一枚である。
悪事や欠点の一部だけを隠して、 肝心の部分が丸見えになっていることへの、痛烈な皮肉だ。
このことわざ、由来は鳥である。 雉(キジ)は追われると草むらに頭を突っ込んで隠れるが、 長い尾羽が外に出たままになる——その姿から生まれたとされる。
ダチョウが砂に頭を突っ込む、という西洋の俗説と同じ発想だが、 日本版の主役は雉。国鳥が、ことわざでは間抜け役を務めている。 桃太郎のお供に抜擢されたり、間抜け役にされたり、 雉というのは、つくづく使い勝手のいい鳥である。
このことわざの現代版を、私たちはニュースで定期的に見ている。
連行される容疑者が、頭からタオルや上着をかぶっている、あの場面だ。
顔は、確かに隠れている。 だが、氏名は報じられ、経歴は掘り返され、 自宅の前には中継車が停まっている。 隠れているのは顔だけで、人生の尻尾は丸出しである。
雉の時代から数百年、 人間の隠れ方は、あまり進歩していないらしい。
メインの絵には、恥ずかしさのあまり、 顔を覆って隠れたつもりになっている人物を描いた。
この「顔さえ隠せば消えたことになる」という感覚、 覚えがないだろうか。
幼い子供のかくれんぼが、まさにこれだ。 カーテンに頭だけ突っ込んで、体は堂々と丸見えのまま、 本人だけは完璧に隠れたつもりでいる。 見つけるほうが、笑いをこらえるのに苦労する、あれである。
顔は、自分と世界をつなぐ窓だ。 だから窓さえ閉めれば世界ごと消える気がする—— 雉も、幼児も、タオルの容疑者も、 そして恥ずかしいときの大人も、みんな同じ理屈で隠れている。
人間の習性としては、間抜けというより、いじらしい。 私はそのいじらしさを描いたつもりだった。
さて、恒例の台帳の時間である。
白状すると、この絵、かなりの自信作だった。 構図も、色も、隠れる仕草の可愛らしさも、うまく描けたと思っていた。
売れなかった。
当連載の読者なら、もう敗因分析の型はご存知だろう。 考えて、気づいて、天を仰いだ。
顔を隠した絵は、表情という商品を隠した絵なのである。
笑顔の回で散々検証した通り、イラスト市場の主力商品は表情だ。 買い手は、絵の中の感情を買って、記事やバナーに貼る。 その最重要商品を、私はテーマに忠実であるあまり、 布の下に仕舞い込んでしまった。
頭かくして尻かくさず、ならぬ—— 頭かくして、売上隠れる。
ことわざに忠実に描けば描くほど売れない、という カルタ絵師の構造的ジレンマが、ここにも一つ転がっていた。 自信作が売れないシリーズに、新しい仲間の誕生である。
三年前の私見に、私はこう書いていた。
「何かにつけて絵の題材に若い女の子を起用することで、 奥さんに怒られてしまいました」
つまり、である。 絵の中の人物は顔を隠せていたが、 描いた本人の趣味嗜好は、家内にまったく隠せていなかった。
頭かくして尻かくさず。 このことわざの一番の実演者は、絵の中ではなく、 画面のこちら側に座っていたのだ。
雉の尾羽も、幼児のはみ出た体も、私の画風も、 隠したつもりの本人にだけ、見えていない。 ことわざとは、よくできているものである。
以後、当サイトの方針はご存知の通り—— 隠すのをやめて、先に白状することにしている。 尻尾が見えているなら、いっそ振ったほうが、いくらか愛嬌も出る。
頭かくして尻かくさず|頭を隠したら、売上まで隠れた


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