# かったいのかさうらみ
か
癩の瘡うらみ
種類:江戸かるた
癩の瘡うらみ
このことわざは、現代日本ではほぼ禁句ですね。ちまたで流通しているいろはかるたでは、別のことわざに置き換えられています。
しかし、私の属性と居住地は本ことわざと縁があり、あえて避けることなく取り上げさせていただきます。
はじめにお断りしておきます。このことわざは現代においては社会通念、倫理観そして科学的見地から勘案し著しく不適切な内容であり、このような場で取り上げることも憚られるべきものです。
私は薬剤師の有資格者であり、さらに日本初のハンセン病患者収容施設である国立ハンセン病療養所・長島愛生園の近くに住んでいます。このような立場から、科学的根拠のないまま多くのハンセン病患者に苦痛を与え続けた「らい予防法」の問題を論じたいと考え、このことわざを避けることなく取り上げました。
このことわざの意味は「四肢、目、鼻などありとあらゆる表皮部位に結節形成による障害が生じてしまうハンセン病患者が、鼻がもげてしまうことで悩んでいる梅毒患者を羨ましいと妬んでいる」というとんでもない内容です。
現代の医学ではハンセン病や梅毒も早期からの治療により障害を残すことなく寛解も可能です。したがって、このような差別的なことわざを使用することは避けるべきです。
現在流通している江戸かるた(すずき出版・1998年)では、この問題のことわざを「稼ぐに追いつく貧乏なし」と差し替えるなど配慮がされています。しかし、このような問題のことわざが作られたのは、ハンセン病や梅毒が治療できない江戸時代であり、外見の変化を抱える病気に対して人々の偏見や嘲笑が存在した結果、このような問題のことわざが生まれてしまったと考えられます。
19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストなどと同じような恐ろしい伝染病だと考えられていました(実際には非常に感染力の弱い慢性の感染症です)。日本では1931年に「癩予防法」が成立し、国立ハンセン病療養所・長島愛生園を皮切りに療養所の増床が行われ、各地に療養所が建設されていきました。また、各県では「無癩県運動」という名のもとに、患者を見つけ出し療養所に送り込む施策が行われました。保健所の職員が患者の自宅を徹底的に消毒し、人里離れた場所に作られた療養所に送られていく光景が、ハンセン病は恐ろしいというイメージを人々の心に植え付け、偏見や差別を助長してしまいました。
さらに追い打ちをかけるように、「優生保護法」という人権無視の法の下、ハンセン病患者への断種が科学的根拠のないまま長年行われ続けました。
ハンセン病治療薬は1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告しました。しかし、日本ではこれらのエビデンスの検証はなされることなく、ハンセン病患者が差別から解放されるにはさらに多くの月日を待たなければなりませんでした。日本政府は1996年にようやく重い腰を上げ、昭和28年(1953年)に改正された「癩予防法」を廃止し、患者隔離政策に終止符を打ちました。
癩の瘡うらみ