# 日本文化では目立つとだめなんですね
で
出る杭は打たれる

種類:その他格言
日本の「出る杭は打たれる」は、目立つことが批判や妨害を受けるという意味ですが、アメリカのことわざは、目立つことがむしろ有利になるという考え方を反映しています。文化の違いがよく表れていますね。
出る杭は打たれる—— 目立つ者、人と違う者は、批判され、叩かれ、均される。 日本社会の暗黙のルールを言い当てた、有名なことわざである。
三年前の私は、このページで日米の文化比較を長々と講義していた。 読み返して、硬さに驚いた。 評論家の顔で書いていたのだ——当事者のくせに。
先に身分を明かしておく。 高校時代、教師から「ユニークは包容力のある言葉だが、 おまえはそれを逸脱している」と言われた男である。 つまり私は、このことわざを論じる側ではなく、 打たれる側の席に、生まれつき座っている。
本日は、その席から書き直す。
旧版で数段落を費やした日米比較は、こう要約できる。
アメリカには "The squeaky wheel gets the grease" ——きしむ車輪は油を差してもらえる、ということわざがある。
つまり、同じ「目立つ杭」に対して、 日本は金槌を持ってきて、アメリカは油差しを持ってくる。
文化の違いの講義は、以上である。 油を差される国が羨ましいかと言えば、まあ、羨ましい。 だが、ないものねだりをしても金槌は消えないので、 ここからは金槌の国での、生き延び方の話をする。
メインの絵は、大勢の社員が見守る中、 スーツの男が金槌で床の釘たちを打ち潰していく場面である。
お気づきだろうか。ことわざは「杭」なのに、絵は「釘」だ。
これは間違いではない。実感である。 会社という場所では、杭に育つ前の、釘の段階で打たれるのだ。 芽のうちに、小さいうちに、目立ち始めたその日のうちに。 床に散らばる無数の釘は、そうして均された者たちの姿である。
下段の絵は、やや衝撃的だが、 突出した社員が頭を打たれる瞬間を描いた。 悪趣味と言われれば返す言葉もないが、 打たれる側の体感としては、誇張ではない。 あれは、本当に、ああいう衝撃なのである。
三年前の私見に、私はこう書いた。
「まぁ、私は今までよくたたかれました。 よくここまで生きてこれました」
会社勤めの時代、私はよく打たれた。 正論の砲台たちと毎日やり合い、 出るたびに打たれ、引っ込んでは、また出た。
なぜ引っ込んだままにしなかったのか。 今なら分かる。性分だからである。 雀百まで踊り忘れず—— 十一色目に生まれた者は、打たれても、出る形にしか育たない。 金槌のほうが、根負けするまで。
このことわざには、有名な続きの言葉がある。 「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」—— 経営の神様・松下幸之助の言葉として、よく紹介されるものだ。
打たれないほど突出せよ。なるほど、正論である。 だが凡人には、金槌の届かない高さまで一息に出る才覚がない。
そこで私は、長年打たれた末に、第三の道があることに気づいた。
打たれ続けた杭は、いつか、自分で抜ける。
抜けた杭は、もう打たれない。 そして抜けた杭には、次の仕事がある—— 自分の土地を見つけて、そこに立て直すのだ。
私にとってそれが、この151a.xyzという庭である。 15,000本の絵という杭を、誰の許可もなく、好きな高さで立てられる庭。 ここでは、どれだけ出ても、金槌を持った人は来ない。 来るのは、せいぜい郵便屋(Google)と、 たまに厳しい検品係くらいのものである。
三年前の私見は「出る杭は飛ばされるかな」と結ばれていた。 訂正しておく。 飛ばされたのではない。自分で飛んだのだ。
最後に、いまどこかで打たれている杭の諸君へ。
打たれるのは、出ているからだ。 つまり、打たれている限り、あなたはまだ出ている。 それは痛みであると同時に、生存確認でもある。
耐えられるうちは、出続ければいい。 出すぎる才覚があるなら、一気に伸びればいい。
そしてもし、どちらも嫌になったら、思い出してほしい。 杭には、抜けるという選択肢が、最初からあることを。
自分の庭は、案外、作れる。 還暦を過ぎてから作った男が言うのだから、間違いない。
出る杭は打たれる|打たれ続けた杭の、その後について


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