# ろくじゅうのみつご
ろ
六十の三つ子

種類:大阪かるた
年をとると三つ子に返る——還暦を過ぎた今、この札はもう自己紹介である。理事会に居座る聞き分けのない三つ子と、ひまわりの種をつまみ食いする無邪気な三つ子。退職するのは会社員で、魂のほうは現役復帰するのだ。
六十の三つ子——大阪かるたの一枚である。
年をとると、再び幼児のように無邪気になったり、 あるいは聞き分けがなくなったりする、という意味だ。
三年前にこのページを書いたときは、 まだどこか、他人事の顔で書いていた気がする。
だが私は今、還暦をとうに過ぎた。 つまりこの札は、もはや観察対象ではなく、自己紹介である。 当事者として、書き直させていただく。
まず、絵をご覧いただきたい。
道端にしゃがみ込んだご老人が、近所の子供たちを集めて、 何やら遊びに興じている。
昔は、こういう年寄りが近所に必ずいた。 私もよく遊んでもらったものだ。
なぜ子供たちは、親よりも年寄りの周りに集まったのか。 年寄りが子供に「合わせてくれた」から——ではないと思う。 あの人たちは、本当に同じレベルで楽しんでいたのだ。 六十の三つ子と、正真正銘の三つ子。話が合うのは当然である。
ところが現代、この光景を実演すると、 不審者として通報される恐れがある。 子らを集めて遊ぶ老人は、絶滅危惧種になった。
つまりこの絵は、昭和の町並みシリーズと同じ、 絵の中でしか成立しない風景画の仲間入りをしたのである。 少し、寂しい話だ。
ここで、他の札「雀百まで踊り忘れず」を見てほしい。
雀百までは「若い頃のものは変わらない」という話。 六十の三つ子は「年をとると三つ子に戻る」という話。
矛盾しているようで、実は同じことを言っている。
三つ子の魂は、百まで続いている。 ただ、現役時代は「社会人」という鎧を着ているから、見えないだけだ。 そして六十、定年——鎧を脱ぐ日が来る。
退職するのは会社員のほうで、 三つ子の魂のほうは、めでたく現役復帰するのである。
六十の三つ子とは、戻るのではない。 ずっとそこにいたものが、ようやく表に出てくるだけなのだ。
さて、当事者として、実例を報告せねばなるまい。
私はいま、マンション理事会の理事長を務めている。 そしてこの理事会に、実に面倒くさい爺さんが一人いるのだ。
議題は進まず、決まった話は蒸し返され、 聞き分けというものが、どこかに置き忘れられている。 六十の三つ子、ここに極まれり。正直、嫌になる。
——と、腹を立てていて、はたと気づいた。
三つ子には、二種類いるのではないか。
無邪気に返る三つ子と、聞き分けなく返る三つ子である。
そして自分を省みる。 ひまわりの種をつまみ食いした男は、 ヤシの木を見てはやる気を蒸発させ、 毎日、絵を描いて遊び、 「証拠は?」と聞いて回っている。
……どこからどう見ても、無邪気型の三つ子である。
人の三つ子は腹立たしく、自分の三つ子は可愛い。 理事会で私が陰で何と呼ばれているかは、 怖いので、調べないことにしている。
三年前の私見に、こう書いた。
「こういう年寄りになりたいなぁ。 でも、なぜか子供に嫌われる(子供からだけじゃないとは言われてますが)」
この願いは、今も変わらない。
絵の中のご老人のように、子らと本気で遊べる三つ子。 理事会を蒸し返す三つ子ではなく、 原っぱの怪物にお茶を出すほうの三つ子。
鎧を脱いだ魂の使い道は、自分で選べるはずなのだ。
もっとも、子供に嫌われる体質のほうは、 六十年かけても治っていないので、 当面は絵の中の子らに、囲まれていることにする。
彼らは決して、私を通報しない。
六十の三つ子|三つ子には、二種類いる

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