イラスト:ハイビスカスと若い女性
イラスト:ハイビスカスと若い女性
前回、売上トップ5の「ソフトクリームを食べる若い女性」を紹介した。 販売の9割が7月に集中する、潔い夏季限定アルバイトである。
その後もデータを眺めていて、もう一人の売れっ子に気がついた。
「ハイビスカスと若い女性」
真っ赤な花と、若い女性。それだけの絵だ。 ところがこのシリーズ、ソフトクリームの彼女と同じくらい売れている。
わがギャラリーの売上番付に、堂々の上位が二人。 どちらも夏の女である。 やはり私の営業部は、夏に強い。
面白いのはここからだ。
ソフトクリームが7月に9割だったのに対し、 ハイビスカスは6月だけ。他の月は皆無である。
ゼロ。見事なまでのゼロ。 7月になった途端、彼女の電話は鳴り止む。
最初は首をかしげた。 ハイビスカスは真夏の花ではないのか。なぜ本番前に終わるのか。
考えて、思い当たった。 七夕の回で書いたことだ。 世の中のデザイナーは、季節の少し先を歩いている。
6月は、夏の告知物を作る月である。 旅行キャンペーン、夏のセール予告、リゾートの特集ページ—— 「もうすぐ夏が来ますよ」と告げる紙面やバナーに、 ハイビスカスは夏の予告編として貼られるのだ。
そして7月、本物の夏が来る。 予告編の出番は終わり、今度は現実の暑さと戦う「涼」が必要になる。 そこでソフトクリームの彼女にバトンが渡る。
ハイビスカスは「夏が来る」の花。 ソフトクリームは「夏が来た」の絵。
二人はライバルではなく、リレー走者だったのである。 6月と7月、たすきは毎年きちんと繋がれている。
ところで、私はこの花の実物を、嫌というほど見ている。 もちろん、沖縄でだ。
沖縄の歩道脇には、ハイビスカスがごく普通に植えられている。 生垣として、街路の彩りとして、驚くほど無造作に。
そして彼女たちは、夏でも冬でも、きれいに咲いている。
真冬の沖縄で真っ赤なハイビスカスを見ると、 「季節とは何なのか」と少し考えさせられる。 本人(本花?)には、夏の花という自覚など、たぶんない。
一年中咲ける花が、市場では6月にしか咲かせてもらえない。 実物には季節がないのに、記号としては季節に縛られている。
なんだか、佇む女性たちの話に似てきた。 絵の中の彼女たちも、実物の花も、 本来の姿より、世間が求める「意味」のほうが優先されるのだ。
もうひとつ、ハイビスカスには切ない性質がある。
あの花は「一日花」だ。 朝に開いた花は、その日の夕刻にはしぼんでしまう。
沖縄の夕暮れ、昼間あれほど鮮やかだった花が くたりと閉じているのを見ると、少し寂しい気持ちになる。
だが、翌朝また通りかかると、 同じ株に、新しい花がちゃんと咲いている。
一輪一輪は一日きり。 けれど株は、毎日律儀に咲き続ける。
——これは、ストックイラストの話でもあるな、と思う。
一枚の絵が使われるのは、たいてい一度きりの紙面、一瞬のバナーだ。 キャンペーンが終われば、絵は役目を終える。 それでもギャラリーという株が生きていれば、 明日もどこかで、別の一輪が咲く。
6月にしか咲けない彼女も、株の上では立派な働き者なのだ。
それにしても、書きながら気づいてしまった。
ヤシの木。静かなビーチ。そしてハイビスカス。 この連載、つくづく沖縄ネタが多い。
「ヤシの木が好きな人間には、怠け者が多い」 ——と、誰かが言っていた気がする。
思い出した。言ったのは私である。 自分の説を「誰かが言っていた」ことにしたくなるあたり、 すでに怠け者の症状は進行している。
しかも困ったことに、この傾向は歳とともに強くなっている。 若い頃は「南の島でのんびり」は憧れだったが、 還暦を過ぎた今は、ほとんど生活設計である。
沖縄に行く。やる気が蒸発する。それでも絵だけは描く。 描いた絵にはヤシの木とハイビスカスが増えていく。 怠け者の証拠は、ギャラリーの中で今日も着実に繁殖中だ。
ハイビスカスの花言葉のひとつは「新しい恋」だそうだが、 私にとってあの花は、「明日もまた咲く」の花である。
一日でしぼむことを知っていて、それでも毎朝開く。 一年中咲けるのに、6月だけの出番でも文句を言わない。
歩道脇でそれを平然とやってのける花が、 怠け者の巡礼者には、少しまぶしい。
来年の6月も、彼女はどこかの「夏、はじまる」の紙面で咲くだろう。 そして私は例によって沖縄に行き、 本物の彼女たちが季節を無視して咲いているのを眺めながら、 やる気を気持ちよく蒸発させているはずである。
大丈夫。絵だけは、描くので。
👆14980点の無料でダウンロード・利用可能なイラスト