イラスト:一人旅の若い女性と夏のビーチの風景(シンプルな色使い)
イラスト:一人旅の若い女性と夏のビーチの風景(シンプルな色使い)
前回、「都市の街角に佇む女性(シンプルな色使い)」が売れなかった話を書いた。
敗因も分析した。反省もした。 「作品」と「素材」は別物なのだと、あれほど自分に言い聞かせた。
その舌の根も乾かぬうちに、白状する。
「一人旅の若い女性と夏のビーチの風景(シンプルな色使い)」も、売れなかった。
お気づきだろうか。 タイトルの末尾に、まったく同じ言葉が付いている。
(シンプルな色使い)。
どうやら私は、同じ場所で二度つまずくタイプの人間らしい。 しかも二度とも、かなりの自信を持ってつまずいている。
ただ、これには事情がある。
私は沖縄が好きだ。 岡山からJTAで2時間弱、ヤシの木を見た瞬間にやる気が蒸発する、あの島が好きだ。
そして沖縄のビーチで私が本当に美しいと思うのは、 実は、真昼のギラギラした時間帯ではない。
朝早く、まだ観光客のいない浜。 夕方、日差しが柔らかくなって、海の色が少し落ち着く時間。 そこを、一人旅らしき女性が、ゆっくり歩いていく。
騒がしくない夏。誰のものでもない時間。 ——ほら、色数なんて、いらないではないか。
そんな光景に出会ったら、私は絶対に声を掛けたい。 (この感覚に見覚えのある方は、前回のエッセイをお読みいただいた方である。)
つまり今回も、需要予測ではなく、 「自分が心を動かされる夏」をそのまま絵にしていたのだ。
さて、冷静に敗因を考える。
広告やバナーの世界で「夏のビーチ」が呼ばれるのは、どんなときか。
旅行キャンペーン。飲料。日焼け止め。夏のセール。 どれも伝えたいメッセージは共通している。
「最高の夏が、来る!」
このメッセージを運ぶには、空は限界まで青く、海はエメラルドに輝き、 太陽は容赦なく照りつけていなければならない。
広告の夏には、朝も夕方もないのだ。 広告の夏は、永遠に真昼である。
そこへ私は、色数を抑えた、静かな時間帯の夏を出品した。 買い手の目には、こう映ったかもしれない。
「この夏は……テンションが低い」
テンションの低い夏に、日焼け止めは売れない。
もうひとつ、気づいたことがある。
前回、佇む女性が売れなかった理由を 「見る人に問いを投げてくる絵だから」と分析した。
では「一人旅の女性」はどうか。
彼女はなぜ一人なのか。何を思って海を見ているのか。 旅の始まりなのか、終わりなのか。
——完全に、問いを投げてきている。
私はどうやら、「物語が始まりそうな女性」しか描けないらしい。 そして広告市場は、物語ではなく結論を求めている。
佇む女性。一人旅の女性。 私のギャラリーには、問いを投げる女性たちが静かに増えていく。 売れないまま。
この件を家内に話したら、一言で返された。
「あなた、ビキニのときも同じこと言ってなかった?」
言われてみれば、そうだった。 「写真には敵わない。それでも描く。だって好きだから」—— ビキニのエッセイで、私はすでに同じ結論に到達していたのだ。
つまり私の敗因は、毎回ひとつしかない。
市場より先に、自分が惚れてしまう。
家内は続けた。
「で、今回の一人旅の女性も、声を掛けたいんでしょ」
……ぐうの音も出ない。 私の創作の動機は、家内によって完全に解読されている。
では、ビビッドな真昼のビーチに転向すべきなのか。
たぶん、半分はそうすべきなのだろう。 売るための絵は、広告の文法で描く。 「最高の夏が来る」真昼のビーチも、いずれ真面目に作ろうと思う。
でも、もう半分は、このままでいたい。
観光ポスターにならない夏が、現実には確かにある。 一人で海を見に来る人がいて、 色数の少ない、静かな時間帯があって、 そこにしかない美しさがある。
売れた絵が「みんなが欲しい夏」だとすれば、 売れなかった絵は「私が本当に見た夏」だ。
そして怠け者の巡礼者として、私は来年も沖縄に行くだろう。 ヤシの木を見て、やる気を蒸発させて、 それでも創作だけは勤勉に、また静かな夏を描いてしまうのだろう。
その絵は、たぶんまた売れない。
でも彼女たちは、佇む女性たちの隣で、のんびり待ってくれるはずだ。 なにしろ、一人旅は得意なのだから。
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