イラスト:七夕飾りと和服を着た若い女性
イラスト:七夕飾りと和服を着た若い女性
ストックイラストの制作は、季節との戦いである。
クリスマス、ハロウィン、お正月、バレンタイン—— 世の中のデザイナーやWeb担当者は、季節の少し先を歩いている。 だから私たちイラスト屋も、数か月先の季節を描き続けることになる。
そして、イベントにはそれぞれ「描きやすさ」がある。
クリスマスは楽だ。 ツリー、サンタ、赤と緑、雪。視覚的な語彙が豊富で、 なんならビキニのサンタという禁じ手まである(家内に叱られたが)。
ハロウィンも楽だ。 仮装という文化そのものが「絵になってくれ」と言っているようなものだ。
ところが、である。
七夕だけは、毎年ひらめきが降ってこない。
これは私だけの問題ではない気がしている。 七夕という行事は、イラスト屋泣かせの性質をいくつも備えているのだ。
その一、視覚的な語彙が少ない。 笹、短冊、織姫と彦星、天の川。以上。 クリスマスの物量に比べると、道具箱の中身が寂しい。
その二、「行動」がない。 ハロウィンは仮装する。クリスマスは贈り合う。バレンタインは渡す。 七夕は——願う。 願いというのは心の中の出来事であって、絵に描けるのは 「短冊を持って佇む姿」までだ。 (佇む。また佇んでしまった。)
その三、静かすぎる。 七夕は本来、夜空を見上げる静かな行事だ。 広告が求める「テンションの高い季節感」と、根本的に相性が悪い。 おまけに現実の7月7日は梅雨で、主役の星空すら休みがちである。
つまり七夕は、モチーフが少なく、動きがなく、静かで、雨。 ひらめきが降ってこないのは、私のせいばかりではない—— と、ここまでが毎年恒例の言い訳である。
さんざん唸った末に、私が着地した構図はこうだ。
笹の葉に短冊。そこに、浴衣もしくは高校の学生服を着た若い女性。
……はい。 誰もが思いつく、七夕イラストの「一丁目一番地」である。
浴衣は夏祭りの記号として。 学生服は「七夕飾りが最も似合う場所は学校の廊下ではないか」という 私なりのわずかな考察として。
しかし正直に白状すれば、 描きながら「これだ!」という手応えは、最後まで来なかった。
そして結果も、正直だった。 さほどの評判にはならなかったのである。
ここで、この連載を読んでくださっている方は 妙なことに気づくかもしれない。
佇む女性と一人旅の女性が売れなかったとき、私の敗因は 「市場より先に、自分が惚れてしまう」ことだった。
今回はその逆だ。 自分がさほど惚れていない絵を、季節の義務として出した。 そして、売れなかった。
惚れすぎても売れない。 惚れなくても売れない。
理不尽なようだが、並べてみると答えは単純だった。 売れた「星空を眺める女性」は、 私が惚れていて、なおかつ買い手にも意味が伝わる絵だった。
熱量は、画面に出る。そしてバレる。 買い手は絵の上手い下手より先に、 作者がその絵を面白がっているかどうかを嗅ぎ分けている気がしてならない。
ただ——ここは声を大にして言っておきたい。
構図にひらめきがなかったのは、私の責任だ。 だが、描いた女の子たちは、みんなかわいらしく、魅力的なのである。
彼女たちの短冊に何と書いてあるのか、私は決めていない。 進路のことか、恋のことか、あるいは案外「世界平和」か。
描いた本人にも分からない願いごとを胸に、 彼女たちは今日も笹の前に立っている。
……気づけばまた、「問いを投げる女性」を描いている。 どうやらこれは、治らない。
来年もきっと、七夕の数か月前に唸るのだろう。 そして性懲りもなく、笹と短冊と女の子を描くのだろう。
だから今年の七夕は、私も短冊を一枚用意しようと思う。 願いごとは、もう決めてある。
「来年こそ、七夕のひらめきが降ってきますように」
織姫様、彦星様。 年に一度しか会えないお忙しいところ恐縮ですが、 イラスト屋の願いも、ひとつよろしくお願いします。
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