# イラスト:雨の日に傘をさして歩く若い女性(シンプルな色使い)
イラスト:雨の日に傘をさして歩く若い女性(シンプルな色使い)
前回の町内人口統計(女性約1万人、男性は少数派)に続き、 今回はもう少し細かい調査結果を発表したい。
わがギャラリーで、キーワードに「傘」が振られたイラスト——
239件。
思わず二度数えた。 15,000人の町に、傘が239本。 ちょっとした傘専門店が開ける在庫量である。
なぜこんなに多いのか。 心当たりを探っていくと、行き着いたのは、少し湿っぽい記憶だった。
以前、「雨の日が好きになるまで」という随筆で、 母の言葉をきっかけに雨が好きになった話を書いた。
裏を返せば、それまでの私は、雨が嫌いな子供だったということだ。
雨の日は、外で遊べない。 仕方なく家にこもり、机に向かう。 机に向かえば、絵を描く。 そして顔を上げれば、窓の外はいつも雨——
つまり、あの239本の傘は、雨が好きで描いたものではない。 雨に閉じ込められた時間が、机の上に降り積もったものなのだ。
好きなものは、外へ会いに行ける。 嫌いなものほど、窓越しに、長く見つめることになる。
ヤシの木が怠け癖の証拠として画面で繁殖したように、 傘は「雨嫌いの在宅記録」として、239本も増殖していたのである。
雨と私の因縁について、もう一つ、書いておきたい話がある。
昔、友人にホームパーティへ招かれたことがある。 庭に煉瓦のピザ窯をこしらえた男で、その日は焼きたてのピザで 御馳走をしてくれるはずだった。
あいにくの、雨だった。
せっかくの窯の前で、私は軽口を叩いた。 「おまえ、雨男だなぁ」
私のように口の達者な人間と違って、物静かな男だった。 彼はぼそっと、こう言った。
「僕は雨男じゃないよ……」
その友人は、もう故人である。 そして最近になって、私はあの小さな抗弁が正しかったことに気づいてしまった。
証拠がある。それも、彼と出会うずっと前の証拠が。
私が結婚したのは、ハレー彗星が76年ぶりに戻ってきた年——1986年である。
元・天文同好会の男の新婚旅行の行き先は、当然のように決まった。 彗星がよく見える南半球。フィジーの小さな孤島、マナ島。 時は4月、南の海で、76年に一度の星を見る。完璧な計画だった。
4月に台風は、めったに発生しない。 めったに、である。
我々が滞在した一週間、台風は島の側にい続けた。
海には出られない。星どころではない。 やることといえば、朝・昼・晩の食事の時間を待つことだけ。 76年に一度の天体ショーを見に行って、 三度の飯を待つだけの一週間を過ごしたのである。
——おわかりだろうか。
雨は、あのピザ窯の日に始まったのではない。 結婚した年から、いや、もしかするとその前から、 雨はずっと、我々夫婦のほうに付いてきていたのだ。
友よ、君は雨男ではなかった。 あの日、君の窯を濡らしたのは、招かれた雨夫婦のほうである。 遅くなったが、ここに無実を証明して、詫びておきたい。
……それにしても、外遊びを奪われた雨嫌いの少年は、 新婚旅行まで雨に降り込められていたわけだ。 傘が239本になるのも、道理である。
さて、恒例のデータの時間である。
タイトルに「傘」を含むイラストの販売月を集計してみた。
1月2件、4月1件、6月6件、8月1件、9月1件、11月1件、12月1件。
見事に、梅雨の6月に集中している。
(総数13件という母数の慎ましさについては、どうか触れないでいただきたい。 「数字は嘘をつかないが」のページを書いた身として、 13件で国民性を語るような真似は控え、傾向とだけ申し上げておく。)
散らばった残りにも、それぞれ顔がある。 9月の1件は、おそらく台風。 1月と12月は、雪の日の傘だろうか。 傘は主役の月こそ6月だが、細々と通年で呼ばれる万能選手でもあるらしい。
ここで、鋭い読者は気づかれたかもしれない。
「6月に売れる」——ハイビスカスと同じではないか、と。
ところが、中身がまるで違うのだ。
ハイビスカスが売れる6月は、まだ夏ではない。 彼女は「夏が来ますよ」と告げる予告編として、本番前に働いていた。
一方、傘が売れる6月は、雨の真っ最中である。 梅雨特集、雨の日の過ごし方、通勤対策—— 現在進行形の雨に向けた図版として、傘は本番のさなかに呼ばれている。
つまり傘は、予告編型ではなく、 猛暑の真っ最中に涼を届けるソフトクリーム型。 本編需要の選手なのだ。
同じ6月でも、片方は夏を予告し、片方は雨と並走している。 販売月が同じでも、働き方はこうも違う。
そして、ここからが今回一番の発見である。
私はつい先日、「濡れぬ先の傘」という格言ページを書き直したばかりだ。 濡れる前に備えよ、という先人の教えである。
ところが、この販売データが示す現実はどうだ。
傘のイラストは、雨が降る前ではなく、雨が降ってから売れている。
制作者もデザイナーも、梅雨が来て、特集が組まれて、 それから傘の図版を探しに来る。
先人の教えに、市場は堂々と逆行しているのである。
濡れぬ先の傘、と説いたそばから、 世の中は濡れてから傘を買っている。
もっとも、偉そうには言えない。 使った傘を置き忘れて帰る男に、市場を叱る資格はない。 備えの民族の実態は、ことわざの中にだけ生きているのかもしれない。
それにしても、と思う。
雨が嫌いだった少年が、雨に降り込められて描きためた傘の絵が、 半世紀後、梅雨のたびにどこかの紙面で、 誰かの「雨の日」を少しだけ彩っている。
雨に奪われた外遊びの時間は、 ずいぶん遠回りをして、こんな形で戻ってきたらしい。
母が教えてくれたとおり、雨の日は、悪くない。 少なくとも、わが町の傘たちにとって、6月は一番の晴れ舞台である。
今年の梅雨も、239本のどれかが、雨の中を出勤していくだろう。 私はそれを、窓越しの雨を眺めながら見送ることにする。
——今度は、嫌いじゃない目で。
そして雨音を聞きながら、時々思い出すのだ。 マナ島の食堂で一緒に台風をやり過ごした新妻と、 雨のピザ窯の前で、ぼそっと真実を告げた友のことを。
雨の日の記憶は、なぜか、悪くないものばかりである。
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