イラスト:都会の商店街を散策
イラスト:都会の商店街を散策
前回、わがギャラリーを「15,000人の町」と呼んだ。
今回はその町の、人口統計の話をしたい。
15,000点のうち、キーワードに「女性」を含むものは、およそ1万点。
つまりこの町、住民の3分の2が女性である。 残りが風景や小物、そして——男性たち。
日本の人口の男女比が、ほぼ半々であることを考えると、 この町の偏りは、統計的に何かの説明を要する水準にある。
町内会長として、今回はこの件について所信を表明したい。
まず、町に暮らす数少ない男性たちが、 日頃どんな仕事をしているかを紹介しよう。
歩いている。 荷物を持っている。 付き添っている。 待っている。
……以上である。
ソフトクリームを食べて涼を届ける者もいなければ、 星空を見上げてロマンを担当する者もいない。 「ふん!」とそっぽを向く感情表現の大役も、回ってこない。
彼らの求人票にはこう書いてあるのだろう。
「主役経験不問。荷物持ち歓迎。表情は控えめの方」
わが町の男性は、揃いも揃って名脇役なのである。
なぜこんなことになったのか。
実は、この謎の答えは、ずいぶん前に書いてしまっている。 「ショッピングを描く理由」の回だ。
買物のイラストで、女性たちは袋を抱えて笑い、 男性はただ歩くか、荷物を持って立っている。 その理由を、私はこう白状した。
「男が嬉々としてショッピングしている姿—— どうしても想像できないのだ。 なぜなら、私自身がそうだからである」
そう。 この町の男性たちのモデルは、全員、私なのだ。
運転手として。荷物持ちとして。付き添いとして。 螺旋を描いて店内を巡る家内の数歩後ろを、 直線的な魂を押し殺して歩く私。
あの後ろ姿が、1万人の女性の町に、ぽつぽつと立っている。
そして先日、決定的なことに気がついた。
私は出会った頃の家内の思い出を膨らませて、彼女たちを描いている—— と、以前この連載で明かした。
つまり、絵の中の女性は「彼女」であり、 絵を見ているまなざしは「私」なのだ。
このギャラリーは、15,000枚の絵でできた、一人称の物語なのである。
そう考えると、すべての辻褄が合う。
カメラは、自分自身を写せない。
男性が主役になれないのは、彼が「見ている側」だからだ。 佇む彼女に声を掛けたいのも、 ソフトクリームの彼女が魅惑的なのも、 「ふん!」の頬の膨らみを正確に描けるのも、 ぜんぶ、まなざしの側の事情である。
男性たちが背景なのではない。 彼らは視点なのだ。 額縁の中に写り込んだ、撮影者の影のようなものである。
念のため言っておくと、営業的な事情は理解している。
ビジネスマンの握手。会議で発言する男性。営業に駆ける若手。 男性イラストの需要は、市場にちゃんとある。 高評価1位が「ビジネスウーマン」だった私の理論からすれば、 「ビジネスマン」を量産すればよいことは、算数として分かる。
だが、この連載の読者はもうご存知のはずだ。
七夕の回で、私はこう書いた。 「熱量は、画面に出る。そしてバレる」
惚れていない題材を義務で描くと、評判も正直だった—— あの教訓が、男性イラストの前に立ちはだかっている。
私が男性に惚れる日は、たぶん来ない。 これは需要予測の問題ではなく、体質の問題である。
というわけで、この町の男性たちには謝っておきたい。
主役は、今後も回ってこないと思う。 求人票の条件も、当面変わらない。すまない。
ただ、これだけは言わせてほしい。
彼女たちが一番いい光の中で笑っていられるのは、 数歩後ろに、荷物を持って立っている者がいるからだ。
運転をして、荷物を持って、螺旋に付き合って、 それでも「仲は悪くない。むしろ良い方だ」と言い張る—— あの背中には、あの背中の誇りがある。
主役は譲る。 その代わり、彼女たちを一番いい光で描くのは、こちらの仕事だ。
今日もわが町の男性たちは、画面の隅で静かに荷物を持っている。 私はそれを、他人とは思えない目で眺めている。
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