イラスト:スーパーマーケットで買い物をしている若い女性
夫婦仲は悪くない。
むしろ歳の割には、かなり良い方だと思っている。
しかし——買物となると、話は急にスリリングになる。
車に乗った瞬間から、すでに空気がざらつく。
原因は単純で、私と家内の“買物に臨む姿勢”が根本から違うのだ。
買うものは決まっている。
店に入る前から、買物の半分は終わっている。
棚を眺める必要もない。
寄り道もしない。
最短距離で目的物を確保し、レジへ向かう。
買物とは、タスクであり、ミッションであり、
「いかに早く撤収するか」が勝負の短期戦だ。
一方、家内は違う。
まず数件のストアを巡る。
そして店内を隅から隅までくまなく歩き、
“欲しいものが出てくるまで”物色する。
この「欲しいものが出てくるまで」という条件が厄介だ。
つまり、まだ存在しない“未来の欲望”を探しに行くのだ。
ガソリン代がどうとか、
価格差なんて移動コストで吸収されるとか、
時は金なりとか、
そういう理屈は一切通用しない。
諍いの火種は、だいたいここに落ちている。
返ってくる言葉は決まっている。
「女はみんなそうだよ」
この“全国女性代表”のような宣言を前に、
私はいつも白旗を上げるしかない。
そんな日常を重ねていると、
私が描くショッピングのイラストにも、自然と“ある傾向”が生まれた。
ショッピングのキーワードが付いたイラストに登場する女性たちは、
皆、楽しそうに笑っている。
袋を抱え、風に髪をなびかせ、
「買物は人生のご褒美です」と言わんばかりの表情だ。
一方、男性はどうか。
ただ街を歩いているだけ。
もしくは、荷物を持って立っているだけ。
ショッピングの主役ではなく、背景である。
男が嬉々としてショッピングしている姿——
どうしても想像できないのだ。
なぜなら、私自身がそうだからである。
夫婦で買物に行くと、諍いは起きる。
しかし、仲が悪いわけではない。
むしろ、運転手兼荷物持ちとしての私は不可欠らしい。
つまり、買物とは夫婦共同作業であり、
その過程で多少の摩擦が生じるのは、
もはや“仕様”なのだ。
家内の螺旋と、私の直線。
その交差点に、毎回ちょっとしたドラマが生まれる。
そしてそのドラマが、
私のイラストの中にも、そっと息づいている。
今日もまた、
ショッピングを楽しむ女性と、
ただ付き添う男性のイラストを描きながら思う。
「この構図は、私の人生が導き出した経験則なのだな」と。